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【講演】 脳卒中後の生活と介護
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楠 広美 楠  広美  呉市医師会居宅介護支援事業所

 居宅介護支援事業所って、なんか聞きなれないという方も多いと思います。これは昨年四月から国のほうで始まりました介護保険制度の中で、 制度を利用してみようかなと思われる方が一番最初に相談できる窓口のひとつです。ここではご自宅での介護の必要な方や、 実際に介護をされている方がよりよく生活できるよう、保健、医療、福祉のサービスを組み合わせて、ケアプランを作ります。 これはケアマネジャーという専門職の者が、介護されている方と、介護を受けている方、その両方の方からお話をいろいろお聞きし、 今一番何に困っていらっしゃるのか、すぐに必要なサービスとそうでないものを専門家の目で判断し、検討したうえで、 ケアプランを作っていきます。そして利用される方の同意を頂いたうえで、実際にサービスの提供を始めることをします。 医師会の事業所のほうは平成11年に呉市医師会総合介護センターの中に開設されました。介護保険の申請の代行から始まり、 昨年4月の介護保険開始に間に合うよう、ケアプランの準備に日々奔走してまいりました。そして保険制度が始まってから1年半、 介護保険の申請をご希望される方はとても多く、増えることはあっても減ることは今のところありません。 今うちでご依頼いただいている件数は、320件あまりですが、実際にサービスをご利用いただいているのは280件あまりです。 その中で今日の本題である脳卒中で何らかの介護が必要となった方は、割合でいいますと約40%。これは全体に占める割合でして、 2号保険者といって40歳から64歳の方の割合ですと、脳卒中で介護が必要となった方は約70%にも上がります。 以前の福祉制度ですと、身体障害者福祉制度の中での在宅福祉というものと、高齢福祉というものの中での在宅福祉というのがあって、 50歳や60歳のどちらかといえばお若い方たちのいろんなサービスを受ける器というものがなかなかありませんでした。 今の介護保険では、そういった40歳から64歳の方で、国の定めた病気で介護が必要となった場合は、 介護保険の申請をして要支援以上の認定を受けた場合はさまざまなサービスが受けられるようになりました。 脳血管疾患、(脳卒中)、も国が指定した病気ですので、例えば50歳の方が脳出血で倒れてしまった。 病院で治療を受け、退院したけれども介護が必要といった方はこの介護保険の対象になります。 今からそんな方々のお話をしてみたいと思います。

 Aさんは50歳代前半の女性で、脳梗塞で倒れ、総合病院で1ヶ月治療を受けられました。そのあとリハビリ専門の病院に移られ、 2ヶ月間リハビリを受けておられました。その病院の医療相談室のソーシャルワーカーの方から、こちらの方へ相談が入りました。 そろそろ退院を考えているけれど、一緒に住んでいるご主人は日中は仕事に出られている。50歳代の女性ですから、 もちろんご主人さんも同じくらいの年齢で、一番働き盛り。一人娘さんも嫁がれて近くには住まれていますけれど、 この一人娘さんが結局主に介護をする予定でいます。家に帰ってもリハビリは続けていきたいし、今の介護保険を使って、 何とかサービスを調整してみてほしいということで相談が入りました。介護保険の認定は申請して訪問調査が済んだばかりです。 そこで私が早速ご本人とご家族に会いに病院の方にお伺いしました。ソーシャルワーカー立会いの元で、 リハの先生と主治医の先生ともお会いして、ご本人さんの今までの経過や今後考えられる体の変化、おうちに帰ってからのいろいろな問題を話し合いました。 そのあとリハ科で一生懸命リハビリをされているご本人さん、娘さんとお会いして、現在何ができて何ができにくいか、 おうちに帰ったらどういったことが問題になるかというのを、私の目で実際見せていただいて、娘さんのご希望、 ご本人さんのご希望をいろいろとお伺いしました。その方は右側の片麻痺が残り、言語障害と若干の記名力、 物事を記憶する力が少し落ちていました。娘さんはお母さんの今の状況をしっかりと受け止めてはいますが、 住み慣れた我が家に帰ればもう少しよくなるのではと期待もされていました。そこで日を改めて、ご自宅の方へも訪問させていただきました。 玄関から寝室まで、あちこち段差があって、片麻痺の方が家の中で移動するにはとても難しいと思いました。 トイレにも段差があって、寝室からトイレまで遠くて、手摺をつけようにも借家でしたのでなかなかそれも難しい状態でした。 近々バリアフリーの家を見つける予定ですと娘さんはおっしゃっていましたが、退院してすぐそのおうちにお母さまは帰っていらっしゃいます。 そこで介護保険の説明と必要な手続きを一通りさせていただき、そして退院の日までの準備をいろいろと始めました。 一人で寝返りや起き上がりができやすいように、介護用の電動ベッドのレンタルを計画しました。 座ってから立ち上がりがしやすいように、ベッドの柵の変わりに介助のバーを取り付けて、自分で起き上がれるようなベッドにすることにしました。 ご本人の自立を促し、少しでも介護の負担を軽くするためのものがケアプランです。 そして家の中を見回しますと、ご自宅のお風呂はとても狭く、介助があっても入れるようなお風呂ではありませんでした。 そこで通所介護、(施設に行ってお風呂に入るサービス)と、リハビリをご希望されてましたので通所リハビリ、 (施設へ行ってリハビリをするサービス)を週1回ずつ利用して、そこで入浴のサービスも受けることにしました。 退院の少し前に介護認定の結果が要介護2ということで届きました。私もおおよそ2ぐらいかなと予想してましたが、 ある程度予想しながら最低限のサービスでプランを組むように私はしています。少しずつから初めて、足し算をしていくようにしますと、 介護をしてみて、ここは大変、ここは家族でできるといったことは実際にやってみないと分かりません。 最初からあまり盛りだくさんのサービスをあれもこれもとくんでしまうと、何かアクシデントがあったときに身動きが取れなくなってしまうからです。 この方の場合は通所介護と通所リハビリを週1回ずつ利用することから始めました。退院してしばらくした頃娘さんの献身的な介護の甲斐があったのか、 言葉もだいぶはっきり話せるようになってきました。そしてまた2ヶ月くらい経った頃、娘さんは嫁ぎ先からお母さんのもとへ通う、 通い介護という形でやることになりました。ご本人が2時間ほどであれば何とか留守番ができて、自分でトイレもできるようになったからです。 でも通所リハビリの日がお迎えの時間が早いので、娘さんが来るのが難しくなってきました。そこで朝の準備はヘルパーが訪問し、 ご本人の仕度や通所リハビリの車に乗る場所までの介助をするようになりました。すると少したったある日、娘さんから電話が入りました。 「母の表情が変わってきたんです。年の近いヘルパーさんとの毎日、毎回の会話がいい刺激になっている様な気がします。 私自身も用事がいろいろあるので、通所リハビリの日以外にもヘルパーさんに来て頂けないでしょうか。」プランにはまだ余裕が十分ありますので、 通所介護と通所リハビリの無い日の午後、週に2回ヘルパーの訪問が始まりました。ヘルパーは決してリハビリの専門家ではありませんが、 生活の様々な場面で少しだけお手伝いをすることによって、いわゆる生活リハビリはできます。例えば一緒にAさんと台所の片づけをしたり、 洗濯物をたたんだり、右手の不自由さはあるんですが、一緒にやることによってご自分で出来ることは何とか自分でやりこなすようになっていきました。 娘さんがリハビリの病院で教わった絵本や挿絵を使って、言葉の訓練もヘルパーと一緒にご本人は始めました。時々記憶が入れ替わってしまうので、 ヘルパーを歳は近いんですが「お母さん」といっては、2人で照れて大笑いをしたり、笑うことでまた本人とヘルパーとの人間関係がとても結びつきの強いものになっていきました。 担当のヘルパーも通所リハビリの作業療法士に聞きながら、家でどんなことをしたらよりよいリハビリができるか、 勉強して一生懸命やっています。今のところ大きな問題もなく、その方は過ごされていますが、50歳代前半、 今から先はとても長いです。娘さんの介護疲れはないかと心配した時期もありましたが、他のご家族のご協力もあり順調にやっておられます。 今後家族の状況も変わってきますでしょうし、再発の危険もゼロではありません。私とAさんとのお付き合いも長くなるとは思いますけれども、静かに見守っていきたいと思います。

 次にBさん、この方は60歳前半で平成11年の春に脳出血で倒れ、右片麻痺と失語症、右視野の狭窄が後遺症として残りました。 治療されてしばらくしてから、在宅介護支援センターへの依頼で、ベッドや車椅子の申請がありました。 そこで早速ご本人さんのところへ訪問し、奥様の希望やご本人の状態を見せていただきました。 その時自宅に帰ってからもリハビリは希望されていましたが、平成11年の頃は通所リハビリは老人医療の中でしか利用ができませんでした。 そのため、通所介護のほうで少しでも社会的交流が保てるように計画しました。リハビリは奥様が車椅子で病院に連れて行かれて、 外来でのリハビリということになりました。そして1年経ち、介護保険が始まるようになって、その方にとってはサービスの利用は拡大しました。 通所リハビリの利用ができるようになったので、通所介護と合わせて週に1回リハビリに来ることによって、歩いたり、 筋力の低下を押さえたりと、今頑張っていらっしゃいます。この方もまだ60歳前半でお若いので、 今からいろいろな出来事があると思いますが、奥様と二人三脚でお手伝いできたらと思っております。

 ここまでは50歳から60歳代の比較的介護される方も受ける方もお若い方のお話でしたが、ご高齢の方の場合はどうでしょうか。

 Cさんは70歳の男性で、20年前に脳血栓で倒れました。右側の片麻痺が残り、それでも若さと持ち前の頑張りで何とか杖を使って歩けるようになり、 仕事にも復帰し、10年ほど経ったときにまた再発、今度は左側の麻痺が残って立ち上がりも難しくなり、歩行することも難しくなりました。 ほぼ寝たきりとなり、生活のほとんどを奥様が介護するという状態でした。お風呂に入ることがとても難しかったので、 訪問入浴というサービスを受けて、しばらくしたころに訪問入浴のスタッフから「家でリハビリを受けて見たらどうですか」という提案がありました。 そこで奥様がかかりつけの先生と相談され、訪問看護という形で看護師がご自宅にお伺いしてリハビリをすることが始まりました。 ご本人は当初は「今さらリハビリをしても治るわけじゃないし」とあまり気が進まない様子だったんですが、 それだったらお風呂がお好きなので看護師がお風呂に入れましょうということで、シャワーキャリーに移動して看護師がお風呂に入る援助を始めてみました。 体格がいい方なので、ベッドからシャワーキャリー(車椅子のような物)へ移動するのに全体重が看護師の肩にかかってふらふらになるくらいでした。 そんな中徐々に看護師にも心を開いてくださり、「自分の足がこんなじゃあんたにも力かけるし、迷惑をかけているから、 少しリハビリして足の力をつけてみようか」ということでようやくリハビリの意欲が少しずつ出てきました。 そこで看護師も足の筋力アップ、そして座った時も姿勢が崩れないようなリハビリを調べて、訪問の度にリハビリを行うことによって、 徐々に足の力もついてきました。リハビリを開始して3ヶ月ほど経ってから、ようやく起き上がりのときに少し手を添えれば何とか自分で起きられるようになって、 立ち上がりのときも足の踏ん張りが利くようになりました。そんな中で介護保険が始まり、訪問看護でのリハビリ、入浴介助、 そして訪問入浴、ときどき奥様の介護疲れを取るためにショートステイの利用をケアプランに盛り込んで、今のところ過ごされております。

 最後にDさんは88歳の女性で、87歳の時に脳梗塞で倒れられました。右側の不全麻痺と軽い言語障害が残りました。 一人息子さんは遠くに住まわれて、お嫁さんも仕事があるため呉に戻ることができません。もともと一人暮らしで、 しっかりされた方ではありましたが、息子さんのところに行くことは拒否され、呉で過ごしたいというご希望でした。 退院して1ヶ月はお嫁さんが介護休暇を取りお世話をされていましたが、そのあとはまた一人暮らしを始めなければいけません。 介護認定では要介護1。どこまでサービスが使えるかということでご相談がありました。しばらく入院していたため、 その方は前より物忘れがひどくなっていました。ガスのつけっぱなし、置き忘れ・・・ お嫁さんも心配で家に帰ることがすごく不安です。 そこで、食事のほうは日に1回呉市の福祉のサービスで、食事サービスを受けることにしました。栄養のバランスもよく、 配達してくださる方が必ず本人に直接手渡すようにしていただいて、そうすると安否の確認にもなります。 かかりつけの先生は通所リハビリでリハビリをしたらと勧めてくださいましたが、本人は集団の中に入っていくのはどうも嫌いな性分です。 「私は家で一人のんびりしていたほうが好きなの」、そんな言葉がよく出るので、そこでおうちでリハビリをしてみましょうということで、 看護師が訪問することにしました。また歩くときにどうしてもバランスが悪く、時々転倒するようで、とんでもないところに内出血があったりしました。 やはり昔のおうちでしたので、台所と和室のところにはかなり段差もありましたし、お風呂に行くにも、トイレにも段差がありました。 そこで介護保険の中で住宅改修ができますので、トイレやお風呂に手摺をつけ、また移動の時危ないところには手摺をつけて、 転倒しないように、計画を進めました。生活の上では、手の先に力が入りにくいため、掃除機を持っての掃除ができにくいことが不便です。 誰でも自分の生活のペースがありますので、人に掃除をしてもらうということを遠慮される方が多いですが、几帳面な方でしたので、 それならヘルパーがお掃除の一部を手伝いましょうということでヘルパーに入ってもらうことにしました。 その方の、「ちょっと手伝ってもらったら、調理もできるし、掃除もできるのよ」という言葉を大事にしながら、 ヘルパーによる調理と掃除の援助を週に2回入れるようにしました。午前11時ごろにヘルパーが訪問して、全部するのではなく、 一緒にその方と調理を始めます。野菜を洗うのはDさん、刻むのはヘルパー、盛り付けをするのは本人、 そして本人さんが食事をしている間に頼まれた買い物をヘルパーがしてきます。ヘルパーが買い物をして帰ってくると、 「ヘルパーさん、もう食べたから片付けているよ」とご本人は自分の食べた食器を一生懸命片付け始めています。 その間にヘルパーはトイレとお風呂の掃除をします。すると今度は、本人さんがモップを持って板の間の掃除を始めています。 そこで重い掃除機はヘルパーが持って和室とか高いところとかを掃除します。訪問看護で体調のチェックを行い、 家事の支援はヘルパーの訪問で、週3回は必ず誰かがご本人の状態を見守り、食事サービスの配達員にも一言二言声をかけてもらって、 一人暮らしのご本人さんの生活はご本人さんのペースでゆっくりと過ぎていっています。その方のご様子を時々尋ねて思うことは、 その人の生活の形をあまり変えずに、でも危険と予想されることはできるだけ回避するように、 そうすると生活そのものがリハビリになるということです。その時ご本人ができることも「危ないから」と全部取り上げてしまうと、 きっと物忘れも多くなって、ただ受身だけの生活になってしまうと思います。そうするとまた体の機能も落ちて、 こころの機能も失われていくのではないかと思います。70年、80年生きてこられた方たちの生活の形は、 本当に一つとして同じものはありません。その人らしい人生を送ることができるように、たとえ病気などでさまざまな障害があったとしても、 まずはご本人の人権を守り、それを侵されることのないように生活の支援をいろいろと組み立てるお手伝いするのが、 私たちケアマネジャーの役割だと思っています。

 次に、自立した生活ができるように住宅改修をされた例をいくつか紹介したいと思います。スライドおねがいします。

 この例はおうちを全面改修された例です。この方は脳出血で左片麻痺がある方です。おうちの改修をされる時に、 台所からベッドまで行くのに右手で手摺を持ちながら歩けるように、ご本人の背の高さに大体合わせて手摺をつけてもらいました。

 とてもお金はかかったと思いますが、お風呂とトイレも全面改修されてまして、トイレは右手がわにL字型の手摺をつけて立ち上がりがしやすいよう、 そしてタオルがぶら下がっているのが分かると思うんですが、ちょっと目も薄くなってこられているので、しるしをつけて注意するように奥様が工夫されてます。

 これはお風呂のほうの手摺です。

 夏場でしたら立ってシャワーをすることが可能なので、L字をつけて何とか自分でシャワーができるように手摺をつけております。 浴槽の奥にも手摺をつけて、出たり入ったりするときに危なくないように改修しております。

 この方の場合、おうちの玄関も全部スロープにされてます。
いままでは全部開き戸だったんですが、引き戸に直して車椅子で出入りがしやすいように直しています。

 傾斜は比較的道路まで距離がありましたので、長めに取って頂いて、改修してくださった大工さんがいまから10年、20年使うスロープだからといって コンクリートの下に鉄筋を全部入れてくださって、メンテナンスがしやすいように、壊れにくいようにいろいろと工夫をしてくださいました。

 これは家の中から玄関を見たところです。玄関口は狭かったんですが、開き戸を広く取ることによって車椅子で出入りがしやすいようにしています。

 玄関のノブも長めにとって、自分であけたり閉めたりできるようにしています。

 次は、この方は奥様が脳梗塞で右片麻痺がある方で、ご主人が日曜大工が得意ということで、ご主人がご自身でいろいろ研究されご自身で手摺をつけられた例です。

 奥様の入院されている時にリハの先生と、本人さんの掴みやすい、一般ですと36mmという手摺の太さがあるんですが、奥さんが手がどちらかというと小さいので32mmの太さの手摺をご主人がつけれれております。

 お風呂の手摺ですが、ステンレスの上のほうについています。

 病院のリハ科でご主人がいろいろと道具を見られて、いわゆるプーリーという道具があります。,それに近い物を、 実際におうちで奥様がリハビリのために使えるようにこういった滑車と荷裁き用の取っ手をつけて、 肩の挙上や手の力がつくように道具を作られております。
鴨居のところにちょうど引っかかるようにして作って、毎日、テレビのテレビ体操の時間に朝に夕にされております。

 滑車も日用品の生活センターでいろいろなものを試験的に使われて、一番よく動くのを工夫されて買われたそうです。

 反対側から見たものです。このようにご自宅で家族の方がいろいろと工夫されたり、もしくは専門のスタッフにいろいろと指導を受けることで、元気になられる方もいらっしゃいますし、この方も右手の握力が半年経ってお会いした時にかなりよくなっていらっしゃいました。

 これはまた違う方の事例ですが、このようにお風呂場の壁にステンレスのL字の手摺をつけることによって、 それと下のほうに椅子をつけて安全に座って入るようにすることによって、ご自分で一人でも入れるようにもできます。

 台と手摺の組み合わせで,人に手を借りなくても自分ではいる、そして肩までつかるということができます。

 これも手摺ですが,最初左側の方にL字型の手摺を作ったんですが、やはりその方の入る習慣が右から入ったり,左から入ったり、 お風呂につかったときにどっち側に頭を持っていくかということが大工さんでは分からないことがあります。 それでご本人が実際に使ってみて,やっぱりコッチのほうが使い勝手がいいわということがよくあります。あとから縦の手摺をもう一本つけた例です。

 トイレの向かって右側に縦に天井に向かって手摺をつけた例です。このおうちも新建材なので横に垂木が無いので、横の手摺がつけにくいおうちでした。 ここで大工さんといろいろ考えた末、天井と床の縦の手摺をつけることによって立ち上がりがしやすいようにしました。 このように手摺一本でもご本人の残されている機能を維持し,介護の負担を軽くすることができます。でもただやたらに手摺をつければいいというものではありません。 立ち上がりの時どこにあればいいのか、より安全にご本人が楽に移動できるのか、これはやはりご本人とご家族とそれから担当のケアマネジャ−、 場合によっては病院のリハ科の先生にもお知恵を借りることもありますし、実際に工事をされる大工さんや工務店の方の意見も聞いたうえで,初めて本当に利用しやすい手摺をつけることができると思います。 これは介護保険の中で、自宅改修の費用の一部も補助が受けられますので、もし今後必要になりましたら,担当のケアマネジャーや、 呉市の介護保険課の職員にご相談いただけたらと思います。以上でスライドは終わります。

 これも玄関の手摺ですが、片一方が下駄箱でもう片一方が開き戸の場合、壁がありませんので、下の床の台の方から生えるような形の手摺をつけた例です。

 最後に、脳卒中という病気を、今日先生方がお話してくださったようにまずは予防し、万が一病気になっても早いうちから適切な治療とリハビリを始めることによって、 より自立した生活ができるようになると思います。私が出会ったたくさんの方たちも、病気になったときは最初はなぜ自分だけが・・・と落ち込まれて、 時には本当に気持ちも暗くなって、家族全体が暗くなってしまう方が多々いらっしゃいましたが、その反面、まず自分を、あるがままの自分を受け入れて、 前向きにリハビリを頑張っていらっしゃる方もたくさんいます。そういった方たちの元気を、私も毎日もらって日々頑張っております。本日はご清聴ありがとうございました
講演当時の役職です)

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