院長挨拶
中国労災病院開院70周年を迎えて

令和7年(2025年)度のHPの作成に当たりご挨拶申し上げます。本年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年末から今年の年初めにかけてインフルエンザとコロナ感染症が猛威を振るい、当院も年末年始と多くの患者さんが来院あるいは搬送され、今年の年初めから早3か月を迎えていますが、全身状態が悪化して体力が落ちた高齢の方々がなかなか体調の回復が短期間で行えず、異例ともいえる多くの入院患者さんをこの2か月以上看させて頂いています。
一方で、二期目のトランプ政権が発足後次々と新たな政策を打ち出し、自国や近隣国のみならず、全世界を巻き込んで急速に、紛争や安全保障、貿易を含む経済、新たな枠組みでの世界情勢の変化が起きています。気候変動による自然災害、更には日本でも山林火災の発生と延焼地域の拡大など、ロサンゼルスでの山林火災を彷彿させる様相を呈しています。(この原稿を書いている3月始めの状況から)
このような大きな世界の変化の中、当院は本年3月7日に開院70周年を迎えました。ヒトで言えば古希に相当します(実は私も4月に満70歳を迎えます。)。少し詳しく解説します。中国・四国地方に労災病院を一か所設置するという情報を得た呉市は、昭和27年8月7日、労災病院誘致期成同盟会(会長・鈴木術呉市長)を設立し、「将来の中国・四国地方の重工業中心地としての発展過程」にあり「かかる好適地に労災病院が設置されることは中国・四国9県下55000の事業経営者並びに94万人の労働者の熱烈なる要望である」との理由を掲げ誘致運動を積極的に行い、昭和29年に国有地提供を受け工事に着工し1年足らずで開院までこぎつけました。昭和30年(1955年)3月7日に内科、外科、整形外科の合計50床で初代院長に伊藤肇先生を迎え開院しました。この9県の労災病院誘致期成同盟会の思いを込めて、名称として広島でも呉でもなく、中国が付けられました。(呉市史 第7巻 p823-p824)
ちなみに中国・四国地区で、米子に山陰労災病院がありますが、あとは岡山労災病院、山口労災病院、香川労災病院、愛媛労災病院、と9県に6つの労災病院があります。
これまでの中国労災病院の発展は多くの方々のご支援によりなされてきました。改めまして、開院から持続的に指導を頂きました、関係の皆様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。特に、多くの優秀な医師を派遣してこられました広島大学医学部の各教室の皆様、広島県・呉市の消防、警察を含む行政の皆様、広島県医師会・呉市医師会を中心に医師会の皆様、看護協会の皆様、歯科医師会の皆様、薬剤師会の皆様、リハビリテーションの関係の皆様、比較的近年の表現になると350を超える連携医療施設の皆様、そして機構本部から全国区で活躍されてきた事務の皆様、労災病院間で移動を余儀なくされながらもそれぞれの領域で力量を発揮されてこられました医療職の皆様、そして「当院がかかりつけ医」と呼んで下さる呉市東部の阿賀・広・郷原地区を始め、江田島・倉橋・音戸地区、焼山地区、川尻・安浦地区、とびしま四島、そして東広島市南部の黒瀬・安芸津地区、大崎上島、更には竹原市からの多くの患者さんとそのご家族の皆様、その他有形無形のご支援とご援助を頂きました多くの方々に心から感謝申し上げます。また時には、辛口のご批判やご叱責など賜り、その都度病院の質的改善に大いに役立ちました。本当にありがとうございました。
この70年間に社会は大きく変化しました。医療の世界もご多分に漏れず大発展しております。それぞれの診療科の専門化が更に発展し、診療科の中でも細分化が進む中、多くの客観的なデータが収集されEBM(evidence based medicine, 直訳すると証拠に基づいた医療となります)が当たり前となり、自身の経験や直感に頼った判断は極限られた範囲での認識となりました。それぞれの疾患や領域における診療ガイドラインが作成され、推奨度が提示され、臨床的疑問によってより具体的な対応が判断できるようになりました。一方外科的処置はどんどん侵襲度が下がり、小さな傷で小さな生体環境の変化でより効率的な診断や治療ができるようになりました。内科系はむしろより積極的に介入し従来であれば外科的対応であった領域も内科医が出来るようになってきました。その代表的技術が血管内治療や内視鏡治療になります。画像診断も長足の進歩がありました。長年脳そのものを映し出すことができませんでしたが、1975年(昭和50年)に頭部専用のX線コンピューター断層装置、いわゆるCTが登場し、画像診断は大きく変わりました。その10年後に核磁気共鳴装置、いわゆるMRIが登場し、更に細かい像、性格が違う病変の検出、造影剤を使わない血管像、など登場してきました。更に核医学も進歩して、形態的な診断から機能的な診断も可能となってきました。
お薬は、と言えば、患者さんの病気の性質によってできるだけ副作用の少ない、またピンポイントで異常な部分を認識する分子標的薬が登場し、それまで制御できなかった病態が全てではありませんが、制御できるようになりました。最近ではAIを用いた創薬が進んでいます。また直接肉眼で行ってきた手術を手術用顕微鏡や内視鏡、最近では外視鏡、更にはロボット支援で内視鏡手術を行ったりできるようになりました。これらの手術に関する様々なデジタル情報を時間的に同調した情報としてサーバーに集め、それらの情報を生かしたスマート治療室も開発されて臨床に応用されています。
以上我々の領域のこの70年間の長足の進歩の一部を紹介させて頂きました。当院においても、内視鏡検査・治療センター、純国産の内視鏡手術支援ロボットhinotori™を設置したロボット手術センターなど高度専門的医療の実践と更なる推進を具体的に進めております。当院の名前の由来を先ほど述べましたが、本来の当機構の目的である働く人の治療と仕事の両立を支援する、いわゆる治療就労両立支援センターが当院に設置されており、令和5年からは初期臨床研修医の必修プログラムとして両立支援も取り込んで教育しており、一定の成果を上げております。医療の原点は救急にあり、と言われていますが、断らない救急を目指して、夫々の立場で対応してくれています。急性期医療に対応できる地域中核施設としての基本方針に変わりはございません。その中にあっても地域の皆様から「面倒見のいい病院」との評価を裏切らない対応を継続して参ります。
令和7年の干支にまつわるお話を既に今年の1月6日に開催した仕事始め式にて、述べさせて頂きました。本年は乙巳(きのと・み)でありまして、「再生や変化を繰り返しながら柔軟に発展していく年」になると考えられます。当院のChugoku Rosai HospitalのRosaiのRを頭として、Reborn精神的に生まれ変わる、Renovation修復・刷新、Reproduction複製・繁殖、そしてRegeneration再生・復興、という言葉の流れを紹介しました。今年度も、合言葉は“R”ということで、伸びていきたいと思っております。引き続きのご支援、ご指導をどうぞよろしくお願い申し上げます。
独立行政法人労働者健康安全機構 中国労災病院
院長 栗栖 薫